舗装道路がなかった時代、移動はどれほど大変だったのか
公開日:2026-07-16
雨が降っても泥だらけにならない道路は当たり前ではなかった。日本の道路舗装率が高まったのは戦後のことだ。
日本の道路が舗装されたのは、多くの区間で戦後以降のことだ。
雨の日でも泥はねを気にせず歩ける。車はなめらかに走れる。この当たり前の道路が全国に広まったのは、高度経済成長期のことだ。それ以前の道路は、天候によってまったく別の顔を見せた。
今、当たり前にあるもの
現在の日本の道路舗装率は約80%(実延長ベース)で、主要道路はほぼすべて舗装されている。アスファルト舗装・コンクリート舗装が標準で、排水性舗装・透水性舗装・静音舗装など機能的な種類も増えている。
道路は単なる通路ではなく、地下にガス管・水道管・電線・通信ケーブルが埋設されており、インフラの集合体でもある。道路工事が長引くのは、複数のインフラが絡み合うためだ。
それがなかった時代
舗装道路が普及する前、雨の日の道は「泥道」だった。
土の道は雨が降ると水を含んでぬかるみ、歩くたびに靴が沈む。荷車の車輪が泥にはまり動けなくなることも珍しくなかった。乾燥した日は逆に砂埃が舞い上がり、歩くだけで体が汚れた。
江戸時代の「東海道」などの主要街道は、一定の整備がされていた。砂利を敷いたり、松並木で土の侵食を防いだりする工夫があった。しかしそれでも大雨や長雨が続けば、道は泥の川になった。
旅人たちの記録には、雨後の道の悲惨さを訴えるものが多い。「膝まで泥につかった」「一里(約4km)歩くのに半日かかった」という記述が残っている。現代人の感覚からはほとんど想像できない過酷さだ。
どう変わってきたか
日本で本格的な道路舗装が始まったのは明治時代だが、当初は東京など大都市の主要道路に限られた。
戦後の復興と高度経済成長期(1950〜70年代)に、道路舗装が急速に進んだ。モータリゼーション(自動車の普及)が道路整備を促し、道路が整備されると自動車がさらに普及するという好循環が生まれた。1964年の東京オリンピックに向けた都市整備も、道路舗装を加速させた。
農村部や山間部の道路は後回しにされることが多く、1980〜90年代まで未舗装の生活道路が残っていた地域もある。
東海道の「一里塚」が今も残る理由
江戸時代の主要街道には、一里(約3.9km)ごとに「一里塚」と呼ばれる土盛りが設けられていた。旅人が距離の目安にするためのものだ。
これは、当時の道に「距離を示す標識」がなかったことを意味する。現代の道路には距離標識・キロポスト・カーナビがあるが、江戸時代の旅人は一里塚を数えながら目的地までの距離を把握していた。
今でも東海道沿いには一里塚が残っている場所がある。都市開発で多くは失われたが、「旧東海道の一里塚」として保存・整備されているものも存在する。車で数分の距離が、当時は半日の旅程だった。
その場所に立つと、同じ道が時代によってまったく違う意味を持っていたことが感じられる。