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マッチがなかった時代、火はどうやってつけていたのか

公開日:2026-09-01

マッチがなかった時代、火はどうやってつけていたのか

箱を擦れば火がつく。そのマッチが日本に広まったのは明治時代のことで、それ以前の人々は全く別の方法で火を起こしていた。

マッチが日本に入ってきたのは、明治の初めのことだ。

小さな箱を擦れば火がつく。今では百円ショップでも手に入るマッチが登場する以前、人々は火を起こすために、全く異なる道具と技術を使っていた。

今、当たり前にあるもの

現代の日本では、ライターやマッチが生活のあらゆる場面に存在する。キャンプ用のガスバーナーには圧電点火装置が内蔵され、ガスコンロも自動点火が標準だ。マッチは製造量が激減し、今では旅館やレストランのノベルティとして残る程度になった。

火を起こす行為そのものが、日常から切り離されつつある。

それがなかった時代

マッチ以前の日本で最も広く使われた火起こし道具は「火打石(ひうちいし)」と「火打金(ひうちがね)」の組み合わせだ。硬い石英系の石と鉄製の金具を打ち合わせ、飛んだ火花を「ほくち」と呼ぶ着火材に受けて火種を作る。ほくちには炭化した布や木が使われた。

慣れた人でも数十回打ち合わせる必要があり、雨の日や湿気の多い季節は火花が飛びにくく、さらに時間がかかった。江戸時代の家庭では、毎朝の火起こしは主婦の重要な仕事のひとつだった。

もうひとつの方法は「摩擦式火起こし」で、木の板に木の棒を押し当てて回転させ、摩擦熱で着火する。縄文時代から伝わる技術で、神事や野外ではこの方法が用いられることもあった。

どう変わってきたか

日本初のマッチ工場が設立されたのは1875年(明治8年)、大阪のことだ。当初は輸入品に頼っていたが、国産化が進み、明治後期には日本がマッチの主要輸出国になるほど製造が盛んになった。

「マッチ工場の女工」という言葉が生まれるほど、マッチ産業は大規模な雇用を生んだ。神戸・大阪を中心に工場が集中し、世界各国へ輸出された。

戦後はライターが普及し、使い捨てライターの登場(1973年)でマッチの需要は急激に減少した。

火は管理されるものだった

火打石の時代、火は今よりはるかに「管理」されるものだった。

一度消えた火を起こし直す手間を省くため、炭火や囲炉裏の火は常に「消さないように」維持されていた。旅先では「火をもらう」という習慣もあり、隣家から火種を分けてもらうことが当たり前だった。

火が持つ重みが、今とは全く違った。マッチ一本で生まれた「気軽な火」は、人と火の関係を根本から変えた発明だったのかもしれない。

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