有難う図鑑
← 一覧へ

新聞がなかった時代、ニュースはどうやって広まっていたのか

公開日:2026-08-01

新聞がなかった時代、ニュースはどうやって広まっていたのか

毎朝ポストに届く新聞。その前の時代、ニュースは叫びながら売り歩く人が届けていた。

近代的な新聞が日本に登場したのは、明治時代のことだ。

今日の出来事が翌朝には手元に届く。政治・経済・社会・スポーツまで一枚の紙に整理される。新聞を読む習慣は昭和の家庭に深く根づいていたが、「印刷されたニュースを誰でも読める」という状態は、長い歴史の中では最近のことだ。

今、当たり前にあるもの

現在の日本の新聞発行部数は約3000万部(2024年時点)。かつては5000万部を超えていたが、インターネットの普及とともに減少が続いている。それでも朝刊・夕刊のセット購読、宅配システムは世界に類を見ない規模で維持されている。

紙の新聞に加え、デジタル版の有料購読が広がり、スマートフォンで読むスタイルも定着した。

それがなかった時代

近代新聞以前の日本では、「瓦版(かわらばん)」がニュースの役割を担っていた。

瓦版は江戸時代に登場した、木版刷りの一枚刷りニュースシートだ。大火・地震・洪水などの災害情報、珍しい事件、幕府のお触れなどが印刷された。売り手は街頭に立ち、大声でニュースの内容を叫びながら売り歩いた。「読み売り(よみうり)」と呼ばれるこの行商人が、当時のニュース配信の担い手だった。

瓦版は「号外」に近い性格のもので、定期的に発行されるものではなかった。大事件が起きたときに「速報」として発行される。庶民は声を聞いて内容を判断し、気になれば一枚買った。識字率の低い時代には、売り手が内容を声で伝えることが重要だった。

遠方のニュースは、飛脚(ひきゃく)が手紙や文書を運んで伝えた。しかし届くまでに数日〜数週間かかり、「最新情報」の概念自体が今とは異なっていた。

どう変わってきたか

日本初の近代的新聞は1861年、横浜で発行された英字紙が始まりとされる。日本語の新聞は1870年代から登場し、「横浜毎日新聞」が最初の日刊紙の一つだ。

明治の新聞は当初、政府や政治家の主張を伝える「機関紙」的な性格が強かった。やがて商業新聞として独立し、広告収入と購読料で運営するモデルが確立した。活版印刷技術の導入と鉄道による流通が、全国紙の成立を可能にした。

大正・昭和にかけて宅配制度が整備され、「朝起きたらポストに新聞がある」という生活様式が全国に広まった。

「号外」が届いたとき、時代が変わった

「号外!号外!」と叫びながら配られる号外紙は、通常の配達日程を超えた緊急性を持つ。

終戦の玉音放送(1945年8月15日)、東日本大震災(2011年3月11日)、オリンピックの金メダル——歴史的な瞬間には必ず号外が出た。街頭で無料配布される号外を受け取り、立ち止まって読む光景は、「時代が動いた」ことを体で感じる経験だ。

デジタル時代になっても、号外の文化は続いている。速報はスマートフォンに届くが、号外の紙を手にすることへの特別感は残っている。

江戸の読み売りが叫んで伝えた「大ニュース」は、今も号外という形で受け継がれている。叫ぶ声が紙になり、紙がデジタルになっても、「今すぐ知らせたい」という衝動は変わらない。

おすすめ記事

気になることがあれば