電気がなかった夜、人々は何をしていたのか
公開日:2026-07-02
スイッチひとつで部屋が明るくなる。その仕組みが当たり前になったのは、人類の歴史からすればごく最近のことにすぎない。
夜になれば、スイッチを押すだけで部屋が明るくなる。
冷蔵庫が動き、テレビが映り、スマートフォンが充電される。これらすべてが「電気が通っている」という、目に見えない前提の上に成り立っている。停電にでもならない限り、この前提を意識することはほとんどない。
では、電気が家庭に届く前、人々は夜をどう過ごしていたのだろうか。
今、当たり前にあるもの
日本の電化率はほぼ100%とされ、都市部はもちろん、多くの離島や山間部にも電力網が張り巡らされている。発電所で作られた電気は、送電線・変電所を経て、各家庭のコンセントまで届けられる。
夜の街が明るいのも、家電が動くのも、すべてこの見えないインフラのおかげだ。電気代という形で対価を払えば、24時間365日、いつでも電力を使うことができる。
それがなかった時代
日本で電灯が一般家庭に普及し始めたのは明治時代後期から大正時代にかけてのことだ。それ以前、夜の明かりは行灯(あんどん)や提灯、ろうそくといった「火」によるものだった。
油を燃やす行灯の明かりは、現代の電灯と比べるとはるかに暗く、煙やにおいも伴った。油は決して安いものではなく、庶民の家庭では日が沈んだら早々に眠るという暮らしが一般的だった。「日の出とともに起き、日没とともに寝る」という生活リズムは、電気がない時代の自然な結果でもあった。
照明だけではない。暖房は薪や炭、動力は人力や水車・風車に頼っていた。電気がないということは、光・熱・動力のすべてを、その都度、別々の方法で確保しなければならないということでもあった。
どう変わってきたか
日本初の発電所は1887年(明治20年)に東京で稼働した。当初の電気は主に都市部の一部、それも富裕層や事業者向けの限定的なものだった。
電灯が一般家庭にまで広がるには、その後数十年を要している。大正から昭和初期にかけて電力会社間の競争が激化し、料金の低下とともに電灯は急速に庶民の家庭にも普及していった。1935年頃には、都市部での電灯普及率はほぼ100%に近づいていたとされる。
電気は照明だけでなく、後にラジオ、洗濯機、冷蔵庫、テレビといった家電製品を動かす動力源としての役割も担うようになった。一つのインフラが普及することで、それに連動する新しい道具や暮らし方が次々と生まれていった。
世界との違い
電気の普及は、世界的に見ても均一ではない。
国際エネルギー機関(IEA)の報告では、2022年時点でも世界には電気を利用できない人々が約7億人台規模で存在するとされている。サハラ以南アフリカなど一部の地域では、電化率が依然として低い水準にとどまっている。
電気がある暮らしとない暮らしの差は、照明の有無だけにとどまらない。教育、医療、通信、産業のあらゆる場面に影響する。今、当たり前のようにスイッチを押している部屋の明るさは、世界的にはまだ「当たり前」とは言い切れない明かりでもある。
スイッチを押す。その一瞬の動作の裏には、見えないところに張り巡らされた長い歴史と配線がある。