ガスコンロがなかった時代、火はどうやって起こしていたのか
公開日:2026-07-08
つまみをひねれば火が出る。その当たり前の前には、薪と炭で火を管理し続ける暮らしがあった。
ガスコンロが家庭に普及したのは、戦後のことにすぎない。
つまみをひねれば、一秒で火が出る。火力を調節し、使い終わればまたひとひねりで消える。料理に欠かせないこの道具を、私たちは特別意識することなく毎日使っている。しかし「ひねれば火が出る」暮らしは、日本の歴史の中ではごく最近のことだ。
今、当たり前にあるもの
現在の日本では、ガスコンロまたはIHクッキングヒーターが家庭の台所の標準だ。都市ガスやプロパンガスが各家庭に供給され、蛇口をひねるように火を使える。業務用の強火力コンロは飲食店の必需品で、家庭用でも高火力のものが増えている。
近年はIHクッキングヒーターへの切り替えが進み、火を使わない調理も一般化している。オール電化住宅ではガスそのものを引かない選択も珍しくない。
それがなかった時代
ガスコンロ以前、調理の火は「薪」と「炭」で作るものだった。
「かまど」が台所の中心にあった。石や土で作られた固定式のかまどに薪をくべ、火を起こして調理をする。火起こしには技術が必要で、朝一番の仕事は火を起こすことだった。湿った薪は燃えにくく、風向きによっては煙が逆流する。火加減は薪の量と空気の調節で行い、感覚と経験が頼りだった。
炭は薪より扱いやすく、火持ちもよかった。長火鉢(ながひばち)や七輪(しちりん)を使って炭火で調理する方法は、かまどと並んで広く使われた。七輪は軽くて移動でき、少量の炭で効率よく調理できる道具として、特に都市部で重宝された。
火を消さないよう管理することも仕事のうちだった。毎回ゼロから火を起こすのは手間がかかるため、炭火を保温したり、灰の中に埋めて保存したりする工夫が日常的に行われた。
どう変わってきたか
日本でガスが家庭に引かれ始めたのは明治時代からだ。しかし当初は照明用途が中心で、調理への利用は限られていた。家庭用ガスコンロが普及し始めたのは1950年代以降、高度経済成長期のことだ。
ガス管の整備が都市部から進み、かまどからガスコンロへの切り替えが急速に広まった。1960年代にはガスコンロが「文化的な台所」の象徴となり、新築住宅への設置が標準になっていった。農村部でのガス普及はやや遅れたが、プロパンガスの配達によってガス供給が届くようになった。
炭を作る村があった
薪や炭を使う暮らしには、それを支える産業が存在した。
山林の木を伐り、炭焼き窯で木材を蒸し焼きにして木炭を作る「炭焼き」の職人が、各地の山村にいた。炭は都市部へ運ばれ、料理・暖房・鍛冶など多くの用途に使われた。良質な備長炭(びんちょうたん)を産する地域は、高値で売れる商品を持つ豊かな産地だった。
ガスコンロの普及は、炭の需要を激減させた。炭焼きを生業としていた多くの山村が、別の収入源を探さざるを得なくなった。今日、国産炭の生産量は最盛期の数十分の一に減り、炭焼き職人は希少な存在となった。
火を起こす手間が消えたとき、その火を作っていた人々の仕事も、静かに消えていった。