缶詰がなかった時代、食べ物はどうやって保存していたのか
公開日:2026-07-12
常温で何年も保つ食品がある。その技術は、ナポレオンの軍隊への食料供給問題から生まれた。
缶詰が発明されたのは、19世紀初頭のことだ。
棚からひとつ取り出し、缶切りで開ければすぐ食べられる。長期保存できる食品は今や当たり前の存在だが、この技術が生まれた背景には、戦争という切実な必要があった。
今、当たり前にあるもの
現在の缶詰は果物・魚・野菜・スープ・肉類まで多種多様だ。日本ではツナ缶・さば缶・コーン缶が定番で、非常食としても備蓄される。賞味期限は3〜5年が標準で、常温保存できる利便性は他の保存食にはない。
缶詰の密封と加熱殺菌により、食中毒の原因菌を完全に死滅させる。開封するまで外部からの菌が入らないため、長期保存が可能になる。技術の進歩で缶の薄さも増し、軽量化が進んでいる。
それがなかった時代
缶詰以前、食品を長期保存する方法はいくつかあったが、どれも制限があった。
「塩漬け」は最も古くから使われた保存方法だ。塩の浸透圧で水分を抜き、細菌の繁殖を抑える。魚・肉・野菜をすべて塩漬けにできるが、食品は塩辛くなり、食べる前に塩抜きが必要だった。
「乾燥」も広く使われた。干し魚・干し野菜・干し肉は水分を取り除くことで腐敗を防ぐ。干し鱈(たら)・干し椎茸・干し柿など、乾物の文化は日本でも深く根づいている。
「発酵」は微生物を利用した保存法だ。漬物・味噌・醤油・鰹節は、発酵によって長期保存を可能にしながら、独自の旨みを生み出す。日本の食文化の多くは、保存の必要から生まれた。
どう変わってきたか
缶詰が発明されたのは1810年のことだ。フランスのニコラ・アペールが、瓶に食品を詰めて加熱密封する「アペール法」を確立し、翌年イギリスのピーター・デュランドがブリキ缶を使った特許を取得した。
日本に缶詰技術が伝わったのは明治時代初期だ。1871年(明治4年)、長崎でイワシの缶詰が試作されたのが日本初の缶詰とされる。その後、軍の食料として缶詰の重要性が認識され、生産が拡大した。日清・日露戦争での需要拡大が、日本の缶詰産業を成長させた。
ナポレオンの懸賞金から生まれた
缶詰の誕生には、はっきりとした動機がある。
ナポレオン・ボナパルトは遠征軍の食料問題に悩んでいた。長距離の行軍中、兵士たちに十分な食料を供給できず、腐敗した食料による病気が軍を弱体化させた。1795年、フランス政府は「長期保存できる食品の保存法」を開発した者に1万2000フランの懸賞金を出すと発表した。
この懸賞金に応募したのがアペールだった。15年近い試行錯誤の末、瓶詰め加熱殺菌法を確立し、1810年に懸賞金を受け取った。
皮肉なのは、アペール自身がなぜこの方法が機能するのか理解していなかった点だ。細菌の存在が科学的に確認されたのはその後のことで、加熱で細菌が死滅するという原理は後から説明された。「なぜ効くかわからないが効く」という技術が先に生まれ、理論は後から追いついた。
軍の兵站問題を解決しようとした懸賞金が、世界中の台所を変えた。