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冷蔵庫がなかった時代、食べ物はどう守られていたのか

公開日:2026-07-01

冷蔵庫がなかった時代、食べ物はどう守られていたのか

扉を開ければ、いつでも冷たい食材がそこにある。その当たり前は、人類の歴史のなかでは、ごく最近に手に入れたものにすぎない。

夏場に買った肉や魚を、何の不安もなく一晩置いておける。

それは冷蔵庫という箱が、家の中に「いつも冷たい場所」を作り出しているからだ。電源さえ入っていれば、扉の中は季節を問わず一定の低温に保たれる。あまりに自然すぎて、それがどれほど特殊なことか、普段は意識されない。

では、この箱がなかった時代、人々は食べ物の腐敗とどう向き合っていたのだろうか。

今、当たり前にあるもの

現代の家庭用冷蔵庫は、おおよそ4〜5度の冷蔵室と、マイナス18度前後の冷凍室を備えている。肉も魚も野菜も、それぞれに適した温度の場所へ入れておけば、数日から数週間は保存が利く。

買い物は週に1度でいい。作り置きも、まとめ買いも、夜遅くの食材保管も、冷蔵庫があるからこそ成立している暮らし方だ。

それがなかった時代

電気式の家庭用冷蔵庫が日本の一般家庭に普及し始めたのは、1950年代後半から1960年代にかけてのことだ。それ以前、人々は別の方法で食べ物を「冷やす」、あるいは「腐らせない」工夫をしていた。

代表的なのが氷式冷蔵庫である。木製や金属製の箱の上段に天然の氷を入れ、その冷気で下段の食品を冷やす仕組みだ。氷屋が毎日のように家々を回り、大きな氷の塊を配達していた。氷が溶ければ補充が必要で、保冷できる時間にも限りがあった。

氷すら手に入りにくい地域や時代には、井戸の中に食べ物を吊るして冷やしたり、塩漬け・干物・味噌漬けといった保存食の技術で乗り切ったりしていた。塩や乾燥によって食品中の水分を減らし、微生物が繁殖しにくい状態を作る。これは冷却ではなく、保存そのものの方法を変えるアプローチだった。

買い物の頻度も今とは違う。冷蔵設備が乏しい時代は、肉や魚は「その日のうちに食べきる」ものであり、毎日のように市場や商店へ足を運ぶ生活が当たり前だった。

どう変わってきたか

家庭用電気冷蔵庫が普及するには、まず各家庭への電気の供給が前提条件として必要だった。電力網の整備と冷蔵庫の普及は、ほぼ同じ時間軸で進んでいる。

日本では高度経済成長期に「三種の神器」のひとつとして電気冷蔵庫が挙げられ、急速に各家庭へ広まった。1957年の冷蔵庫普及率はわずか3%程度だったが、1970年代には90%を超えるまでになっている。わずか15年ほどで、冷やすという行為そのものの常識が塗り替えられたことになる。

普及とともに、流通の仕組みも変わった。スーパーマーケットのコールドチェーン(低温物流網)が整備され、生産地から食卓まで温度を保ったまま食品を届けられるようになった。冷蔵庫は家庭の中だけでなく、社会全体の食料流通の前提を作り変えた装置でもある。

今も残る課題

冷蔵庫が当たり前になった一方で、新しい課題も生まれている。

たとえば食品ロスの問題だ。いつでも保存できる安心感が、かえって「とりあえず買っておく」「使い切れず捨てる」という行動を生みやすくしている面がある。保存技術が乏しかった時代は、買った分だけ食べきる、あるいは保存食に加工するという発想が前提にあった。

また、電力に依存する仕組みである以上、停電が起きれば冷蔵庫の機能はすぐに失われる。災害時に冷蔵庫の中身をどうするかは、今でも多くの家庭にとって現実的な課題として残っている。

扉を開けて、冷たい空気に触れる。その一瞬の当たり前は、電力網と技術開発の積み重ねの上に、ようやく成り立っている。

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