薬局がなかった時代、病気や怪我はどうやって治していたのか
公開日:2026-07-24
処方箋を持っていけば薬がもらえる。近代薬局が登場するまで、薬は植物・動物・鉱物の知恵で作られていた。
近代的な薬局が日本に整備されたのは、明治時代以降のことだ。
風邪をひいたら薬局に行けば薬が買える。医師に処方してもらえばより強い薬も手に入る。副作用の情報も添付文書で確認できる。この仕組みが存在しなかった時代、病気や怪我への対処は、長い経験と知恵の積み重ねによっていた。
今、当たり前にあるもの
現在の日本の薬局(調剤薬局・ドラッグストア)は全国に約6万店舗存在し、コンビニより多い。処方箋に基づいて薬を調合する調剤薬局と、市販薬を販売するドラッグストアに大別される。
市販薬(OTC薬)は医師の処方なしに購入でき、風邪薬・胃腸薬・解熱剤・消毒薬・絆創膏まで日常的な症状に対応できる。薬剤師が常駐し、相互作用・副作用のアドバイスを受けられる。
ジェネリック医薬品(後発医薬品)の普及で、高額な先発品と同じ有効成分の薬を低価格で入手できるようにもなった。
それがなかった時代
近代薬局以前、日本では「漢方薬(漢方)」と「民間薬」が治療の主役だった。
漢方は中国から伝わった医学体系で、植物・動物・鉱物を組み合わせた処方で病気を治療する。江戸時代には日本独自に発展した「漢方医学」が医療の中心を担い、各藩に御殿医が置かれた。煎じ薬を作る技術は専門の「薬種商(やくしゅしょう)」が担った。
民間薬はさらに広く一般に使われた。ヨモギ・ドクダミ・ゲンノショウコなどの薬草は、誰でも知っている家庭の「薬箱」だった。傷には梅干しを当てる、腹痛には生姜を煎じる、熱には氷水で冷やす——こうした処置が各家庭の知恵として伝承されていた。
効果の根拠は経験則で、なぜ効くかは説明できないことも多かった。それでも多くの処置は一定の効果を持ち、長い時間をかけて選別されてきた知恵だった。
どう変わってきたか
明治維新後、日本政府は西洋医学を国の医療制度の基盤として採用した。漢方を主とする従来の医療から、化学的に合成された薬剤と解剖学・生理学に基づく西洋医学への大転換だ。
1874年(明治7年)に医制が制定され、薬の製造・販売を規制する制度が始まった。薬局(薬種商)は免許制となり、一定の知識を持つ者だけが薬を販売できるようになった。
20世紀に入ると、アスピリン・ペニシリンなど合成・精製された薬が登場し、感染症・炎症・痛みへの対処が飛躍的に進歩した。それまで多くの命を奪っていた感染症が、抗生物質の登場で制御できるようになった。
「富山の置き薬」という独自の仕組み
江戸時代の日本には、「配置薬(置き薬)」という独特の薬の流通システムがあった。
薬売りが各家庭に薬の入った箱を置いていき、次の訪問時に使った分だけ代金をもらうシステムだ。「先用後利(せんようこうり)」と呼ばれる、先に使って後で払うビジネスモデルだ。
富山(現在の富山県)はこの配置薬の産地として全国に知られた。富山の薬売りは全国を巡回し、家庭の薬箱を管理した。売掛の信用商売を成立させるために、薬売りたちは顧客との信頼関係を大切にした。
この仕組みは現在も「置き薬」業者として存在し、富山は今も製薬産業の重要な拠点だ。400年以上続くビジネスモデルが、現代も地域産業として生きている。