救急車がなかった時代、急病人はどう運ばれたのか
公開日:2026-07-02
サイレンの音が近づいてくると、車は端に寄り道を譲る。その光景が当たり前になったのは、それほど昔のことではない。
遠くからサイレンの音が聞こえてくると、周囲の車が自然に端に寄る。
救急車のために道を空けるという行動は、今や反射的に行われる。誰かが倒れれば119番に電話する。数分後には救急隊員が来て、病院へ運ばれる。この一連の流れが、いつでも・どこでも・無料で使えると私たちは知っている。
では、この仕組みがなかった時代、急に誰かが倒れたとき、何が起きていたのか。
24時間、無料で来る
現在の日本の救急出動件数は、年間約700万件を超えている(2023年時点)。平均すると、4〜5秒に1件の割合で全国のどこかで救急車が動いている計算だ。
利用者の自己負担は原則ゼロ。電話一本で、訓練を受けた救急救命士が現場に向かい、処置をしながら病院まで搬送する。この仕組みは消防署が担い、税金で運営されている。
家族が担架で運んでいた時代
日本に組織的な救急搬送の仕組みができたのは、1933年(昭和8年)のことだ。大阪市消防署が救急業務を開始したのが始まりとされている。
それ以前、急病人や怪我人を運ぶのは、家族や近隣の人間の仕事だった。担架や戸板(ふすまや板戸を外したもの)に乗せて、人力で医師のいる場所まで運ぶ。移動手段が人力車や荷車であれば、それを使った。病院が遠い地域では、搬送に何時間もかかることがあった。
夜中に倒れた場合、まず近所の人を起こして助けを求め、手を借りて運ぶという手順になる。道中に何かあっても、処置ができる人間がそこにいるわけではない。
戦後に全国へ広がった
大阪での開始から、救急業務は徐々に主要都市へと広まっていった。しかし全国の消防署に救急業務が義務付けられたのは1963年(昭和38年)、消防法の改正によってだ。東京消防庁が救急業務を本格的に始めたのは1936年のことで、それでも戦後の復興が落ち着くまで体制の整備には時間がかかった。
救急救命士という資格が法律で定められたのは1991年(平成3年)のことだ。現場で点滴や気道確保などの処置ができる専門職が搬送に関わるようになったのは、ごく最近の話になる。
「無料」はいつまで続くか
現在、救急車の利用は原則無料だが、この仕組みをめぐる議論が各地で起きている。
軽症にもかかわらず救急車を呼ぶケースが増加しており、本当に必要な緊急搬送に影響が出る可能性が指摘されている。一部の自治体や病院では、入院を必要としない軽症者に対して「選定療養費」として数千円を請求する動きが出始めている。
有料化すれば必要なときに呼ぶのをためらう人が出るという懸念もある。「無料で来てくれる」という当たり前が、どう変化するかは、今まさに社会が答えを探している途中だ。
サイレンの音が近づくとき、道を譲る。その判断に迷いはない。ただ、その仕組みを誰がどう支えるのかという問いは、まだ答えが出ていない。