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信号がなかった時代、交差点で何が起きていたのか

公開日:2026-07-02

信号がなかった時代、交差点で何が起きていたのか

赤で止まり、青で渡る。その単純なルールが、都市の交差点を毎日秩序立てている。

赤になれば止まる。青になれば渡る。

横断歩道の前に立つとき、信号の色を「確認」している意識はほとんどない。体が先に動く。それほど深く、このルールは日常に染み込んでいる。

信号機のない交差点が、かつての「普通」だった時代のことを、今の私たちはほとんど想像できない。

赤で止まり、青で渡る

現在の日本には、信号機が約20万基設置されているとされる。主要な交差点のほぼすべてに存在し、24時間365日、点滅と転換を繰り返している。

仕組みはシンプルだ。赤・黄・青の3色で、進む・注意・止まるを示す。歩行者用・車両用・矢印式など種類はあるが、原則は変わらない。信号を見て判断する、という行動は現代人にとってほぼ無意識の領域にある。

信号機のなかった交差点

日本で初めて自動式信号機が設置されたのは、1930年(昭和5年)のことだ。東京・日比谷の交差点に、アメリカ製の信号機が輸入・設置された。

それ以前、交差点の交通整理を担っていたのは「交通巡査」だった。警察官が交差点の中央に立ち、笛と手信号で車と人の流れを制御した。大都市の主要交差点にはこうした担当者が配置されていたが、人数には限りがある。整理されない交差点では、馬車・人力車・自動車・歩行者が混在し、事故や渋滞が日常的に起きていた。

自動車の台数が増えるにつれ、人力での整理には限界が来る。信号機の導入は、その答えのひとつだった。

20年で全国に広がった

日比谷への設置から、信号機は都市部を中心に徐々に普及していった。しかし第二次世界大戦中は資材不足などで整備が止まり、戦後の復興とともに再び拡大が始まる。

普及を加速させたのは、高度経済成長期の自動車増加だ。1950年代後半から60年代にかけて自動車の台数が急増し、交通事故死者数も増加した。信号機の整備は交通安全対策の柱として予算が組まれ、1970年代にかけて全国の主要交差点に広がっていった。

「青」は本当に青なのか

一つ、多くの人が気にしていないことがある。

日本の歩行者用信号の「進め」の色は、国際的には緑(グリーン)と定義されている。しかし日本では長い間「青信号」と呼ばれ、実際の発色も緑寄りの青緑色が使われてきた。

これは、日本語において古来「青」が緑を含む広い色概念を指してきたことと関係している。「青葉」「青リンゴ」「青虫」はいずれも緑色のものを指す。信号の「青」も、その延長にある。

1973年、日本の道路交通法施行令が改正され、信号の色は「青色の灯火」と正式に規定された。色として「青」なのか「緑」なのかという議論を、法律が「青」に決着させた形だ。交差点に立つたびに目にしているあの色は、今も「青信号」と呼ばれている。

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