窓ガラスがなかった時代、家の開口部には何があったのか
公開日:2026-07-09
光を取り込みながら風雨を遮る。当たり前のように透明な窓は、日本の家屋に広まったのは明治以降のことだ。
窓ガラスが日本の一般家庭に普及したのは、明治時代以降のことだ。
外の景色が見え、光が差し込み、雨風を遮る。透明な窓は、今の住宅では当たり前の存在だ。しかしガラスが登場する前、日本の家屋の開口部はまったく異なる素材で作られていた。
今、当たり前にあるもの
現在の住宅の窓には、断熱性・防音性・防犯性を備えた複層ガラスが使われる。Low-E(低放射)ガラスは赤外線を反射し、冷暖房効率を高める。網入りガラス・強化ガラス・合わせガラスなど、用途に応じた種類がある。
窓サッシもアルミから樹脂・木製へと変化が進み、断熱性の高い窓が省エネ住宅の必須要素になっている。「窓を変えると家が変わる」と言われるほど、窓は住環境に大きく影響する。
それがなかった時代
ガラスが普及する前の日本の家屋では、開口部に「障子(しょうじ)」が使われていた。
障子は木の格子に和紙を張ったもので、外の光を柔らかく室内に取り込む。直射日光を遮りながら採光できる優れた建具だ。しかし和紙は水に弱く、破れやすい。雨の日には濡れないよう雨戸(あまど)を閉め、障子を守る必要があった。
「向こうが見えない」のは障子の前提だった。光を通すが、景色は見えない。外の天気は、音や光の変化で察するものだった。
冬の寒さも課題だった。木と紙の組み合わせでは気密性が低く、隙間風が入ってくる。囲炉裏(いろり)や火鉢で暖を取りながら、寒さと共存する暮らしだった。
どう変わってきたか
ガラスそのものは古くから存在していたが、日本に板ガラスが普及し始めたのは明治時代のことだ。それ以前にも長崎などの港町では輸入ガラスが流通していたが、高価で一般家庭には縁遠かった。
明治時代に国内でのガラス生産が始まり、文明開化とともに洋風建築にガラス窓が取り入れられた。しかし日本の伝統的な木造住宅へのガラス窓の普及は段階的で、障子との「共存」の時代が長く続いた。障子の外側にガラス戸を設けた「二重構造」の窓が、戦前から戦後にかけて広く普及した。
障子だけの住宅が減り、ガラス窓が標準になったのは戦後の高度経済成長期以降だ。
ガラスは「贈り物」だった
明治の洋館にガラス窓が設置されたとき、それは富と文明の象徴だった。
透明な板越しに外の景色が見え、雨が降っても閉めたまま採光できる——それは障子では決して得られない体験だった。政府の建物や近代的な商業施設、上流階級の邸宅にガラス窓が使われ、「ガラスのある家」は豊かさの証だった。
当時のガラスは均一な厚さで作ることが難しく、古い洋館のガラスには厚みのムラがある。その窓を通して外を見ると、景色がゆらゆらと歪んで見える。今でも明治・大正期の建物のガラスをそのまま保存している場所では、当時の「不均一なガラス」を通した景色を見ることができる。
歪みは欠陥ではなく、時代の証だ。