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ゴミ収集がなかった時代、人々はゴミをどう処分していたのか

公開日:2026-07-20

ゴミ収集がなかった時代、人々はゴミをどう処分していたのか

曜日ごとにゴミを出せば回収される。その仕組みの前の時代、江戸はゴミが出ない独自の循環社会を持っていた。

近代的なゴミ収集制度が整備されたのは、日本では明治時代以降のことだ。

ゴミ袋に入れて決まった日に出す。収集車が来て持っていく。処理施設で焼却・分別される。このシステムを当たり前のものとして暮らしているが、その「当たり前」は近代が生み出したものだ。

今、当たり前にあるもの

現在の日本では、自治体ごとにゴミの分別ルールが定められている。可燃・不燃・資源ゴミ・粗大ゴミの区別は最低限で、自治体によっては10種類以上に分別するところもある。

ゴミ収集は週複数回行われ、収集曜日と種類が決まっている。焼却炉の技術は高度に進歩し、ダイオキシン問題への対応から現代の炉は有害物質の排出を厳格に管理している。

ペットボトル・缶・段ボール・古紙などの資源ゴミはリサイクルされ、新たな製品の原料になる。「捨てる」行為の中にも、資源の循環が組み込まれている。

それがなかった時代

江戸時代の江戸は、現代から見ると驚くほどゴミが少ない社会だった。それは「捨てるものがほとんどなかった」からだ。

すべてが使い切られ、使えなくなれば別の用途に転用された。

壊れた陶器の欠片は土に混ぜて土地改良に使われた。着物は何度も縫い直し、ほつれたら縫い合わせ、最終的には雑巾になり、雑巾になったら燃料として燃やした。食べ物の残りは肥料になった。

「もったいない」の概念は現代に語り継がれているが、江戸時代はそれが生活の基盤だった。資源が限られていたからではなく、「捨てる」という選択肢がそもそも少なかった時代だ。

どう変わってきたか

明治時代になると、都市部の人口集中とともにゴミ問題が深刻化した。江戸時代のような「循環」が機能しなくなり、街にゴミが溢れるようになった。

明治政府は都市の衛生対策として、汚物掃除法(1900年)を制定した。ゴミの収集・処分を行政の責任として定めた、日本初の廃棄物に関する法律だ。

高度経済成長期に大量生産・大量消費が進み、ゴミの量が急増した。使い捨て容器・プラスチック包装・電化製品の廃棄など、江戸時代には存在しなかった種類のゴミが生まれた。現代のゴミ収集制度は、この「大量のゴミ」に対応するために発展した。

江戸には「ゴミを買う人」がいた

江戸の街には、ゴミを集めて回る職業の人々がいた。

「屑買い(くずかい)」と呼ばれる行商人が、古紙・金属・ガラス・布きれを買い集めて回った。売れるものはすべて価値があり、住民は不要になったものを屑買いに売った。

廃棄物を専門に扱う問屋も存在し、集められた屑は用途別に仕分けされ、再利用の流通ルートに乗せられた。古紙は和紙の原料に、金属は鋳造に、灰は農地の肥料に——それぞれが価値のある資源として再び循環した。

現代のリサイクル業者は、この屑買い文化の延長線上にある。「ゴミ」という概念そのものが、使い切れなくなった社会が生み出したものかもしれない。

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