洗濯機がなかった時代、衣服はどう洗われていたのか
公開日:2026-07-04
洗濯物を入れてボタンを押せば、あとは機械がやってくれる。その前の時代、洗濯は体力のいる重労働だった。
洗濯機が家庭に普及したのは、戦後の高度経済成長期のことだ。
洗濯物を入れてボタンを押す。あとは機械が洗い、すすぎ、脱水まで済ませてくれる。かかる手間は数分もない。しかしこの「数分」は、かつて半日がかりの仕事だった。
今、当たり前にあるもの
現在の日本では、全自動洗濯機がほぼすべての家庭にある。洗濯物を入れ、洗剤を入れ、ボタンを押せば完了だ。乾燥機能付きのドラム式洗濯機では、乾燥まで自動でやってくれる。洗濯は「ボタンを押す作業」になった。
この状態が標準になったのは1980年代以降のことだ。それ以前は、洗い槽と脱水槽が分かれた二槽式洗濯機が主流で、自分でタイミングを見ながら移し替える必要があった。
それがなかった時代
洗濯機がない時代、衣服を洗うには水と体力と時間が必要だった。
方法は地域や時代によって異なるが、基本的な流れは「水に浸ける→こすり洗いする→すすぐ→絞る→干す」だ。洗濯板(せんたくいた)と呼ばれる波型の板の上で衣服をこすり洗いするか、川の石の上で叩き洗いするかが一般的だった。
冬はこれが特につらかった。冷たい水に手を入れ、長時間こすり洗いを続ける。手はあかぎれになり、指はかじかんだ。一家分の洗濯物をすべて手洗いするには、午前中いっぱいかかることも珍しくなかった。
農村部では川での洗濯が一般的だった。川岸に集まって洗濯をするのは主に女性の仕事で、水量が多く流れのある川は、洗濯に向いた場所として重宝された。洗濯は日々の義務であり、天気を読みながら合間に行う仕事でもあった。
どう変わってきたか
日本に初めて電気洗濯機が登場したのは1930年(昭和5年)のことだ。しかし高価で、一般家庭にはとても手が届かなかった。
戦後の高度経済成長期に入ると、国産の洗濯機が量産され価格が下がっていった。1960年代には電気洗濯機が「三種の神器」(白黒テレビ・冷蔵庫・洗濯機)の一つと呼ばれるようになり、家庭への普及が一気に進んだ。
当初は二槽式が主流だったが、1980年代に全自動洗濯機が登場し、さらに使いやすくなった。洗濯は「機械に任せるもの」へと変わっていった。
洗濯機とともに消えた職業がある
「洗い張り(あらいはり)師」という職業を知っているだろうか。
和服——特に絹の着物——は、そのまま水洗いすると縮んだり型が崩れたりする。そのため専門の職人に預け、解いてから洗ってもらう必要があった。着物を縫い目から解き、生地を一枚一枚水洗いし、張り板に貼って形を整えながら乾かし、乾いたら再び縫い合わせる——これが洗い張りだ。
高度な技術が必要な仕事で、熟練の職人は全国に多くいた。しかし洋服が普及し、家庭用洗濯機が広まるにつれ、この職業は急速に減っていった。現在、洗い張り師は希少な職人として扱われ、後継者不足が続いている。
洗濯機が「洗濯する手間」を奪っただけでなく、一つの職人の世界をほぼ消し去った。当たり前は、別の当たり前を消すことで生まれる。