テレビがなかった時代、人々はどうやって娯楽を楽しんでいたのか
公開日:2026-08-02
スイッチを押せば映像と音声が飛び込んでくる。この箱が茶の間に来たのは、戦後のことだ。
テレビが一般家庭に普及したのは、1950年代後半のことだ。
電源を入れれば、遠くの出来事が映像として届く。今の暮らしでテレビのない家庭は少数派だが、「動く映像を家で見る」という体験が当たり前になったのは、人類の歴史からすればつい最近のことだ。
今、当たり前にあるもの
現在の日本では薄型テレビが標準で、4K・8Kの高精細映像が楽しめる。地上波・BS・CSの多チャンネルに加え、NetflixやAmazon Prime VideoなどのVODサービスとテレビを接続する形も一般化している。
録画機器の進化で「見たい番組を見たい時間に見る」スタイルが定着し、リアルタイム視聴の比重は下がりつつある。
それがなかった時代
テレビが登場する前、家庭での主な娯楽は「ラジオ」「読書」「演芸・寄席」だった。
ラジオは1925年(大正14年)に日本で放送が始まり、家庭の娯楽の中心となった。天気予報・ニュース・音楽・ドラマをラジオで楽しむのが戦前・戦中の標準的な生活だった。
外に出る娯楽としては、映画が圧倒的な人気を誇った。活動写真(映画)の登場は明治末期で、大正・昭和にかけて映画館が全国に広まった。「映画を見に行く」ことは特別な体験で、映画館は庶民の夢の場所だった。
落語・浪曲・講談などの演芸も、寄席や街頭で人々の笑いと感動を生んでいた。旅芸人の一座が村々を回り、その地域の人々が楽しみにして集まった。
どう変わってきたか
日本でテレビ放送が始まったのは1953年(昭和28年)2月1日、NHKの本放送開始だ。当初のテレビ受像機は非常に高価で、一般家庭には手が届かなかった。
街頭に設置された「街頭テレビ」に群衆が集まる光景が生まれた。プロレスや野球の試合が映ると、人々が路上に人垣を作り見入った。テレビは「見に行くもの」だった時代だ。
1964年の東京オリンピックがテレビ普及の決定打になった。開会式を見るために各家庭がテレビを購入し、普及率が一気に跳ね上がった。この年を境に「茶の間にテレビがある」が日本の標準的な家庭の姿になった。
カラー放送に反対したのは、白黒テレビのメーカーだった
1960年(昭和35年)、日本でカラーテレビ放送が始まった。しかし普及には時間がかかった。
理由の一つは価格だ。カラーテレビは当時の大卒初任給の10倍以上で、庶民には手が出なかった。
だがもう一つ、あまり知られていない理由がある。カラー放送の普及を遅らせようとする勢力が業界内に存在したのだ。白黒テレビを大量に販売しているメーカーにとって、カラーへの移行は在庫と設備の損失を意味した。カラー放送の本格普及を歓迎しない立場が、業界内で一定の力を持っていた。
技術の進歩が常に歓迎されるとは限らない。既存の技術に利益を持つ側が、新しい技術の普及を遅らせようとすることは、どの時代にも起きてきた。カラーテレビはその一例だ。