傘がなかった時代、雨はどうやってしのいでいたのか
公開日:2026-08-08
濡れずに歩ける。その当たり前の前には、傘を借りて歩く「貸傘文化」があった。
現代的な洋傘(折りたたみ傘・ビニール傘)が日本に広まったのは、明治以降のことだ。
雨が降ればバッグから傘を取り出し、濡れずに目的地まで歩く。それが当たり前になったのは比較的最近で、江戸時代の人々は雨との関係をまったく違う形で結んでいた。
今、当たり前にあるもの
現在の日本には折りたたみ傘・長傘・ジャンプ傘・ビニール傘など様々な種類がある。コンビニで数百円で買えるビニール傘は「使い捨て」に近い感覚で普及しており、年間消費量は1億本を超えるとも言われる。
傘立てはオフィス・飲食店・病院の標準装備で、「傘を持ち帰り忘れる」「傘を盗まれる」という問題が日常的なほど、傘は数多く使われている。
それがなかった時代
江戸時代の雨対策は主に三つだった。蓑(みの)・合羽(かっぱ)・傘だ。
蓑は藁を編んだ雨具で、農民が田畑で使った。合羽は布製の雨具で、武士・旅人が羽織った。カッパ(河童)という言葉はここから来ている。傘は和傘(番傘・蛇の目傘)が存在したが、丈夫ではなく、雨のたびに持ち歩くものでもなかった。
そこで江戸の町で発達したのが「貸傘(かしかさ)」の文化だ。
傘屋や商店が傘を有料で貸し出し、返却を前提に使うシステムが普及していた。急に雨が降れば貸傘を借り、雨が上がれば返す。今で言うレンタル傘だ。傘に店の名前が書いてあり、返却率は概して高かったとされる。
どう変わってきたか
明治維新以降、西洋から洋傘(こうもり傘)が輸入・普及し始めた。当初は高価な洋物として珍重されたが、国内生産が増えるにつれ価格が下がった。
1950〜60年代には一般家庭への普及が進み、昭和40年代以降は「傘は個人が所有するもの」という意識が定着した。1970年代にはビニール傘が登場し、廉価な使い捨て感覚の傘が普及した。
「貸傘」が「捨て傘」になるまで
江戸の貸傘は、傘を「共有財産」として扱うシステムだった。傘は貴重品であり、借りたら返す・大切に使うことが当たり前だった。
現代のビニール傘文化はその対極にある。数百円で買えるため、捨てても惜しくない。コンビニの傘立てに置いたまま忘れる、電車の網棚に置いてくる——こうした傘の「行方不明」は年間5000万本とも推計される。
モノが安くなることは便利だ。しかし「安いから捨てていい」という感覚が当たり前になるとき、かつて傘を大切に扱っていた時代の人々が何を感じるかは、想像してみる価値がある。