緑茶がなかった時代、お茶は薬だった
公開日:2026-08-13
急須でお茶を淹れる。日本の日常に溶け込んだ緑茶だが、最初は僧侶が命がけで持ち帰った薬だった。
緑茶が日本の庶民に広く普及したのは、江戸時代中期以降のことだ。
急須にお茶の葉を入れてお湯を注ぐ。この動作は日本人にとって最も自然な日常の一部だが、お茶が「飲み物」として定着するまでには、長い時間がかかった。
今、当たり前にあるもの
現在の日本では緑茶(煎茶・玉露・抹茶・ほうじ茶・玄米茶)が生活のあらゆる場面にある。自動販売機でペットボトル緑茶が買え、スーパーの棚には様々な銘柄が並ぶ。飲食店でお冷の代わりに緑茶を出す習慣も根強い。
抹茶はスイーツ・ラテ・アイスクリームなどに使われ、海外でも「MATCHA」として人気が高まっている。
それがなかった時代
お茶が日本に伝わったのは奈良〜平安時代とされる。しかし当時のお茶は「薬」として扱われ、一般に飲まれるものではなかった。
鎌倉時代初期(12世紀末〜13世紀)、禅僧の栄西が中国から茶の種と喫茶の文化を持ち帰り、著作『喫茶養生記』に「茶は養生の仙薬」と記した。鎌倉幕府の将軍・源実朝が二日酔いに苦しんでいたときに茶を献上したという話も残っている。
この段階でも茶は禅宗の寺院・武家の間で飲まれる特別なもので、庶民とは無縁だった。
室町時代には「茶の湯」が武家・貴族の文化として発展し、千利休によって「侘び茶」の美学が確立された。茶道として洗練されたお茶の文化は、この時代に日本独自の形になった。
どう変わってきたか
緑茶が庶民に広まったのは江戸時代だ。
永谷宗円(1681〜1778)が煎茶の製法(青製煎茶製法)を確立し、現在の緑色のお茶に近いものが作られるようになった。江戸時代中期には煎茶が京都・江戸の庶民の飲み物として定着した。
1985年にサントリーが世界初の缶入り緑茶「烏龍茶」を発売し、1990年にはコカ・コーラが「爽健美茶」を発売。ペットボトル緑茶が普及したのは1996年の伊藤園「お〜いお茶」ペットボトル化以降で、「お茶を買って飲む」文化が定着した。
「薬」から「もてなし」へ
お茶の歴史は、ある物質が社会の中でどう位置づけられるかが時代とともに変わることを示している。
最初は薬、次に禅の修行の道具、次に武家の儀礼・芸道、そして庶民の日常飲料、そして缶・ペットボトルで売られる商品へ。
同じ植物の葉から作られる飲み物が、時代によってまったく異なる意味を持った。今もお茶を大切な場で出す「おもてなし」の習慣の中に、かつての「薬・特別なもの」という記憶が残っている。