運動会がなかった時代、体を動かす催しは軍事訓練だった
公開日:2026-08-28
秋の運動会で徒競走を走る。日本の学校の風物詩だが、その起源は明治の軍隊式体育にある。
学校の運動会が日本で始まったのは、明治時代のことだ。
秋晴れの校庭で走り・踊り・組体操をする。子どもたちが家族と一緒に弁当を食べながら競技を楽しむ運動会は、日本の学校文化の代表的な行事だ。しかしその起源をたどると、西洋の競技スポーツと日本の軍事訓練が混ざり合った背景が見えてくる。
今、当たり前にあるもの
現在の日本のほぼすべての小学校・中学校・高校で運動会(体育祭)が開かれる。徒競走・リレー・玉入れ・綱引き・ダンス・組体操など多様な種目があり、学校行事の中でも保護者の参加率が高い。
組体操での事故・過度な競争主義への批判・春への移行など、形は変わりつつある。
それがなかった時代
近代以前の日本に「学校行事として体を動かすイベント」という概念はなかった。
武士の世界には武術の鍛錬(剣術・弓術・馬術)があったが、庶民が集まって競うスポーツイベントの文化は薄かった。相撲・祭りの奉納競技などは存在したが、「全員が参加して競う」形式の学校行事は存在しなかった。
どう変わってきたか
日本最初の「運動会」は、1874年(明治7年)に海軍兵学校で行われた「競闘遊戯会(きょうとうゆうぎかい)」とされる。これは海軍の体力強化・競争精神の涵養を目的としたもので、西洋の軍事的な体育訓練を参考にしていた。
その後、各地の学校で運動会が開かれるようになり、文部省(現文部科学省)が体育教育の一環として運動会を奨励した。
明治政府は「強い国民の体を育てる」という富国強兵政策の中で、体育教育に力を入れた。運動会には「集団行動・規律・競争心の育成」という軍事的・国家的な目的が込められていた。
昭和前期には運動会が国民的行事として定着し、戦時中は「全員が参加する・整然と行動する」という要素が強調された。戦後、軍事色は薄まり、「楽しい学校行事」へと性格が変わった。
「競争」と「参加」の間で
運動会は長年「順位をつける競技」と「全員が楽しむ祭り」の両面を持ってきた。
近年「徒競走の順位をつけない」「全員が同時にゴールする」運動会が一時期話題になった(これは誤解も多いが)。「競争か・参加か」という運動会の性格をめぐる議論は、今も続いている。
起源が軍事訓練だった運動会が、今は「思い出・楽しさ・家族の絆」の象徴になっている。同じ行事が全く異なる意味を持つようになることを、運動会は静かに示している。