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下駄がなかった時代、人は素足で泥の道を歩いた

公開日:2026-08-31

下駄がなかった時代、人は素足で泥の道を歩いた

下駄・草履・ぞうり。日本の履き物の歴史は、足を地面から守る工夫の歴史だ。

下駄が庶民の日常的な履き物として定着したのは、江戸時代のことだ。

コンコンと鳴る下駄の音は今では珍しいが、昭和中期まで下駄・草履・ぞうりは日本人の標準的な履き物だった。革靴・スニーカーが当たり前の今、日本の伝統的な履き物の歴史を振り返る。

今、当たり前にあるもの

現在の日本では革靴・スニーカー・サンダルなど洋式の靴が標準的な履き物だ。下駄・草履・ぞうりは夏祭り・浴衣・成人式・神社仏閣への参拝など「和装の場」での特別な履き物になった。

スポーツシューズの機能は驚くほど高度化し、クッション性・通気性・軽さを追求した製品が生まれ続けている。

それがなかった時代

日本の履き物の歴史は長い。

縄文時代には「わらじ(草鞋)」に近い足の保護具が使われていた可能性がある。本格的な履き物文化は弥生〜奈良時代頃に発展し、「草履(ぞうり)」「木沓(きぐつ)」など様々な形のものが登場した。

しかし一般庶民にとって「履き物を履いて歩く」ことが当たり前になったのは比較的遅い。農村の庶民は素足に近い状態で生活し、履き物は特別な外出・礼儀の場でのものだった。泥道・農作業では裸足が実用的な場面も多かった。

どう変わってきたか

下駄の起源は古く、弥生時代の遺跡から「田下駄(たげた)」と呼ばれる泥田で作業するための下駄状のものが発見されている。

江戸時代になると下駄・草履・ぞうりが庶民の標準的な履き物として定着した。「歯(は)」のある下駄は雨天・泥道での使用に向いており、雨の日には下駄というのが江戸の常識だった。「下駄を履かせる」「下駄を預ける」という表現は今も慣用句として残っている。

明治維新後、洋靴(革靴・ブーツ)が上流階級から普及し始めた。洋式の靴は当初「西洋かぶれ」として批判されることもあったが、道路の整備・洋服の普及とともに広まった。

戦後の高度経済成長期、舗装道路の普及・洋服文化の定着とともに洋靴が主流になり、下駄・草履は日常の場から退いた。

「地面との距離」が変わった

履き物は「足と地面の間」に何を置くかの話だ。

素足・わらじ・草履・下駄・革靴・スニーカー——地面との間に置くものが厚く・複雑になるにつれ、人は地面の感触から遠ざかってきた。今のスニーカーは衝撃吸収・クッションが高度化し、石畳・砂利・泥のでこぼこを感じることがほとんどない。

「裸足感覚シューズ」「ベアフット」が一部で注目されているのは、逆に「地面を感じたい」という反動かもしれない。

8月31日、夏の終わりに。下駄の音が聞こえなくなった街で、かつての履き物と道の関係を思う。

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