銀行がなかった時代、お金はどうやって保管・移動していたのか
公開日:2026-07-25
口座にお金を預ければ安全に保管される。この仕組みが登場する前、お金の管理は個人の責任だった。
近代的な銀行が日本に登場したのは、明治時代のことだ。
キャッシュカードを使えば24時間お金が引き出せる。振り込みはスマートフォンで完結する。利子が付き、盗難に遭っても補償される。現代の銀行が提供するサービスを当たり前のものとして使っているが、この仕組みが存在しなかった時代、お金の管理は現代とはまったく異なる問題だった。
今、当たり前にあるもの
現在の日本の銀行は預金・融資・送金・外貨両替など多様なサービスを提供する。普通預金・定期預金・投資信託など、お金の使い方も複数選択できる。
ペイペイ・d払い・クレジットカードなどキャッシュレス決済の普及で、現金を持ち歩かない生活も一般化している。個人間送金もアプリで即時完結するようになった。
1000万円までの預金は預金保険制度で保護されており、銀行が破綻しても原則として預金が守られる。
それがなかった時代
近代銀行以前、お金の保管は「自分でどこかに隠す」か、信頼できる商人に預けるかしかなかった。
「たんす預金」という言葉が今も使われるが、文字通りタンスの中や床下・壁の中にお金を隠す方法が実際に行われていた。盗難・火事・水害でお金が失われるリスクは常にあった。江戸時代には「火事になったら真っ先に金を守れ」が常識で、金の入った袋を持って逃げることが優先事項だった。
遠方への大金の移送は命がけだった。商人が大量の金銀を持って旅をすることは、強盗・追い剥ぎのリスクを常に伴った。護衛を雇うコストも無視できなかった。
江戸時代には「両替商(りょうがえしょう)」と呼ばれる金融業者が存在し、金貨・銀貨・銭(銅貨)の両替や、大名への融資を行っていた。特に大坂の両替商(鴻池・住友など)は、現代の銀行に近い機能を持っていた。
どう変わってきたか
日本最初の近代的銀行は1873年(明治6年)に設立された第一国立銀行だ。明治政府がアメリカの国立銀行制度を参考にして作った。
明治の銀行は当初、商業目的の融資が中心で、個人の預金サービスは限られていた。普通の市民が銀行に口座を持つようになったのは、戦後になってからのことだ。
高度経済成長期に給与の銀行振込が広まり、「給料は銀行に入る」が当たり前になった。それとともに銀行の自動機(ATM)が普及し、現金を引き出すことが日常的な行動になった。
江戸時代の「手形」は現代の送金に似ていた
大量の現金を実際に運ぶリスクを避けるために、江戸の商人たちは「為替手形(かわせてがた)」という仕組みを使っていた。
大坂の商人が江戸に送金したい場合、大坂の両替商に金を預け、手形(証書)を受け取る。受取人は江戸の提携両替商でその手形を換金できる。現金を移動させずに、紙の証書だけで価値を移動させる仕組みだ。
これは現代の送金・振り込みの考え方と本質的に同じだ。「現金を動かさずに価値を移動させる」というアイデアは、デジタル化が進んだ現代の銀行振込やキャッシュレス決済にも引き継がれている。
形は変わっても、仕組みの本質は400年前から変わっていない。