交番がなかった時代、町の安全は誰が守っていたのか
公開日:2026-08-20
困ったら交番へ。日本独自のこの制度は、明治時代に警察官が辻々に立つことから始まった。
日本の交番制度が整えられたのは、明治時代のことだ。
道に迷ったら交番で聞く。落とし物は交番に届ける。「困ったら交番へ」という感覚は日本人にとって自然だが、この小さな詰所の仕組みは世界的にも珍しく、今では「KOBAN」として海外に輸出されるほどになっている。
今、当たり前にあるもの
現在の日本全国には約6000の交番(都市部)と派出所、そして農村部の駐在所がある。警察官が地域をパトロールし、住民からの相談・落とし物の管理・地域の安全情報収集を担う。
交番勤務の警察官は「地域警察官」として住民との顔の見える関係を重視する点が特徴で、「お巡りさん」という呼び名に親しみが表れている。
それがなかった時代
江戸時代の治安維持は、幕府の「奉行所」と自治組織「町自治(五人組)」の組み合わせで機能していた。
五人組は5世帯を一組として相互に監視・連帯責任を負う制度で、犯罪が起きれば組全体が処罰された。これは犯罪抑止にはなったが、密告・相互監視という圧力でもあった。
「辻番(つじばん)」という街頭警備の制度も江戸にあったが、これは武家の自衛的な見張り番で、庶民のための相談窓口ではなかった。
どう変わってきたか
明治維新後、近代的な警察制度の整備が始まった。
1874年(明治7年)、東京に近代的な警察制度が創設された。当初、警察官は辻々に「交番所(こうばんしょ)」と呼ばれる詰所を設けて立番した。最初は固定の建物ではなく、屋外で立ったまま番をするスタイルだったため「立番(たちばん)」とも呼ばれた。
その後、番小屋・木造の小屋へと整備が進み、現在のような常設の交番に発展した。
「交番」という言葉は「交代で番をする」に由来し、複数の警察官が交代勤務で詰める場所という意味だ。
「KOBAN」が世界で評価される理由
交番制度は海外から高く評価されており、シンガポール・インドネシア・ブラジルなどが日本の交番制度を参考にした警察制度を導入している。
その特徴は「警察官が地域に密着し、住民と顔なじみになる」点だ。犯罪が起きてから対応するのではなく、日常的な存在として地域に溶け込む。落とし物・迷子・道案内など「小さな困りごと」にも対応することで、住民との信頼関係が育つ。
「安全は警察が与えるもの」ではなく「住民と警察が一緒に作るもの」——交番はそのための接点として機能してきた。